2025年6月17日火曜日

そういうタイミング。

実家へ行った。
家からは車で40分ほど。

実家には、母・弟・弟の嫁
の3人が暮らしている。

実家に行くということは、母に会いに行くということ。

子どもが小さい頃はそれはもう頻繁に行っていた。
毎週のように。

子どもが大きくなるにつれ。
部活が土日にあり、それから行かなくなった。

久しぶりに行っても
母は最近あった嫌な事や怒ったこと、
子ども達に対しても、
なにかしら怒るような、説教じみた事を言ったりで
何も楽しいことがないわけで。
今では盆と正月にお線香をあげに行くくらいに。

近年、母はもともと弱かった心臓がやばくなり、
ペースメーカーを入れた。
とはいえ、もともと弱っている心臓を機械で無理やり動かしているわけで。
元気にはなったけれど、調子がいいわけでもないというのは何となく想像できる。

そして今度は、不整脈があるとのこと。
その手術をする、その入院等の保証人として
名前を貸してほしいと連絡があった。
(本保証人は弟)

4日間の入院とのことなので、
退院してから行ってもいいのだけれど、
ちょうど仕事の休みとも合ったので
入院前日に行ってきた。

なんかね。
素直に、行こうと思えたんだよね。
そういう、タイミングが来たのかも。
確かにね、手術中にうまくいかずこの世を去るかもしれないから
その虫の知らせ的な感じで行く、
というのともちょっと違うのだが、

これは母のことが心配で、ということより、
私の方の問題。

素直に、会いに行くかな、という気持ちになれたということ。

今自分も、娘のことで気が病んでいることもあり、
神頼みではないけれど、
以前実践していたことを再開しているタイミングでもあるので、

流れに乗る、気持ちに素直に進む、
的なことをやっている気がする。

片付けを進めたり、庭を手入れしたり
お香を焚いたり、神社に毎週行ったり。

なんだか、自分のようで自分じゃないような、
逆にこれが本来の自分であるのかもしれなかったり。

今までやりたいと思いつつできずにいた、ことが「日常」であったけれど、
実際にやりたいことに手を付けたことで、
やってこなかったことをやっている自分、
つまり、今までと違う自分になっているから
ふわふわしている感じがするのかな?

と思ったこの頃。




0 件のコメント:

コメントを投稿

人気の投稿